日本は今、大きな転換期を迎えています。少子高齢化や孤独、経済の先行きへの不安など、多くの課題を抱える中で、人々は「何を拠り所にすればよいのか」「どのように生きていけばよいのか」を探し求めています。
イスラームには、家族や文化を守り、地域社会を支え続けてきた長い歴史があります。一方で、日本が大切にしてきた調和や規律、美意識から、イスラームも学ぶことができるでしょう。互いの強みを尊重し合えば、新しい可能性が開けるかもしれません。
日本でムスリムとして生きるには、両方のバランスが必要です。日本語や文化、社会の空気を理解する力と、イスラームの知識やアラビア語への学び。その両方があって初めて、信仰に根を下ろしつつ社会にしっかりと関わることができます。単に生き延びるだけではなく、日本社会の中でムスリムとして意味ある存在となること。それが「Flourish」の柱です。
この柱は、従来の「ダアワ(宣教)」を意味するものではありません。ビラを配ったり議論をすることではなく、誠実な人柄や礼儀、そして本物の人間関係を通してイスラームを伝えることです。現在の日本のムスリム社会は国籍や人種ごとに分かれてしまいがちです。そこに必要なのは、誰もが安心して集える「温かい居場所」です。ムスリム同士が支え合い、関心を持つ日本人も自然に迎え入れられる、そんな共同体を築いていくことが「Connect」です。
「Cultivate」の柱は子どもたち、そして次の世代のためにあります。多くの若い世代は信仰から離れてしまう危険を抱えています。だからこそ、信仰を美しく、自信を持って生きられる環境や機会、ロールモデルを示す必要があります。イスラームを単に受け継ぐのではなく、「自分の力」として抱けるように育てていくこと。これが「Cultivate」の願いです。
すべての新しいものは想像から始まります。「Imagine」は新しいイスラームを作り出すことではなく、日本の文化と響き合うかたちでスンナ(預言者の生き方)を実践することです。かつて教友たちがマスジドで格闘したように、日本のムスリムも柔道を学ぶことがあるかもしれません。和服の中にも、アウラをきちんと隠せる衣服があります。抹茶や着物、武道などを通しても、イスラームの美しさを表現できるのです。イスラームは「美」の宗教でもあり、アッラーは美しいものを愛されます。Imagine は、日本にすでにあるものを活かしながら、自然で堂々としたイスラームを生きる姿を思い描くことです。
未来を築くには、土台が必要です。その中心となるのは「未来のマスジド」です。単なる礼拝の部屋ではなく、学びの場であり、地域の中心となる場所。教室や厨房、体育館、駐車場、大広間などを備え、家族が共に成長し、子どもたちが学び、近隣の人々が歓迎される空間。マスジドこそが生きた共同体の心臓部になるのです。その上で、翻訳や学校、学術機関など、さまざまな基盤を整えることも含まれます。
イスラームの目的は、日本文化を消すことではありません。むしろ、現代の日本はグローバル化の波の中で、自らの文化や伝統が薄れてしまうのではないかという不安があります。イスラームは、日本が大切にしてきた美しい部分を守り、さらに強めていく力になれるのではないでしょうか。
イスラームは 1400 年もの間、自らの信仰を守り続けただけでなく、触れた地域の文化に新たな命を吹き込んできました。アンダルシア、西アフリカ、ペルシャ、東南アジア――それぞれの国々は、イスラームを受け入れながらも独自の文化を保ち続けました。言語も芸術も伝統も、その良い部分は豊かにされ、害となるものは浄化されてきたのです。
現代の日本でも「アイデンティティを失いたくない」という思いは強くあります。その不安から、孤立や排他によって守ろうとする動きも見られます。しかし歴史を振り返れば、孤立は国を弱めてしまうことが多いように思います。イスラームには、違う道を示す力があります。
クルアーンには次のような言葉があります。
「人々よ、われらはあなたがたを男と女から創り、諸民族・諸種族とした。互いに知り合うためである。」(49:13)
文化の目的は閉じこもることではなく、出会い、学び合い、成長することだと、この言葉は教えてくれます。
日本とイスラームが出会うとき、日本文化は消えるのではなく、むしろ守られ、深められていくでしょう。そして現代の嵐に耐える「根」と、世界とつながる「翼」を持つことができるのではないでしょうか。
イスラームと出会った日本は「日本らしさ」を失うのではなく、むしろより豊かで、自信に満ちた「本来の日本」になれると信じています。
歴史を振り返ると、少数派であることは決して弱さではありませんでした。預言者ムハンマド ﷺ とその仲間たちも、かつてマッカで小さな少数派にすぎませんでした。しかし彼らの信仰と忍耐、そしてアッラーへの信頼によって、歴史の流れは大きく変わりました。
時代を照らしたのは、いつも少数の人々から始まった火でした。運動も、世代も、帝国でさえも、小さな信念ある少数派から始まったのです。
日本に住む私たちムスリムも同じです。数は少ないかもしれませんが、心にある種は小さくとも、やがて大きな木へと育つ可能性を秘めています。もし私たちが賢く、忍耐強く、誠実であり、アッラーに信頼を置くならば、この「ムスリム・マイノリティ」から新しい物語が始まるかもしれません。
「ザ・ムスリム・マイノリティ」は、誰か一人のものではありません。ここは、みんなで作っていける場所であり、少しずつ形にしていく物語だと思っています。
もしこの考えに少しでも共感してもらえたら、ぜひ一緒に取り組んでいけたら嬉しいです。知識や経験を分かち合ったり、お互いを支え合ったりしながら、ゆっくりでも土台を築いていければと思います。
大きなことをする必要はありません。小さな一歩でも、それを重ねていけば、きっと未来につながるものになると信じています。
すべての結果はアッラーの御手の中にありますが、この文章を読んで何かを感じてくださったなら、それ自体に意味があるのだと思います。